サウジアラビア国民の9割は公務員。
フルタイム以外の勤務制度はなかった
これまでいろんな働き方について書いてきました。フルタイム、時短、在宅。
そうした「働き方の形」が先にあって仕事や生活がつくられたわけではありません。
それらは「結果」であって、そのときどきの状況の中で、どうすれば働き続けられるかを考え、
会社の代表と相談しながら形にしていったものでした。
フルタイム勤務という雇用形態しかなかったなかで、
私の状況に合わせて働き方を一緒に模索してくださったから、働き続けられたのだと思います。
模索の裏にあった苦しさ
一方で、模索しながら作り上げてきた働き方だからこそ、歪になった制度の間で苦しむこともありました。
制度が最初から整っていたら、味わわずに済んだ出来事もたくさんありました。
だから、働き方を模索すること、その新しい勤務形態で働き続けること自体がしんどい時期も多かったのです。
「働ける環境を自分でつくる」というのは
「新しい形を切り開く」という前向きな響きの裏で、常に調整とすり合わせの連続でもありました。
会社との認識のギャップに悩むことも多かった。
たとえば、お客様に喜んでいただけたとしても、その人の働き方が会社にとって「望ましい形」でなければ、「良い人材」とは見なされない。
そうした現実を前に、自分の中でどう折り合いをつけるか。
仕事での苦悩と、働き方を模索する苦悩。
働く土俵に立つために、まずひとつ奮発しなくてはなりませんでした。
生活の中で形づくられた「働く」ということ
つまり、私の働き方は
「仕事を中心に、働き方を決めてきた」わけではなく、
「生活があって、その中でどう働けるか」を探してきた結果なのだと思います。
家庭や生活を軸に置いても、仕事を続けられる道がある。
それを理解し、受け入れてくださる環境があったことに感謝しています。
制度や仕組みではなく、その場その場で形づくられた働き方は、確かに大変でした。けれど、それは私にとっての「働く」の原点でもあります。
仕事が自分の中心ではなく、「自分の一部」として自然に溶け込んでいくようになりました。
これからも、きっと働き方は変わっていくでしょう。
けれど、そのたびに「自分に合う働き方を探す」ことを続けていけたらと思います。
探すことそのものが、働く喜びであり、働く意欲であり、
働く力の現れなのだと思います。
これからも、働き方を探し続けてみましょう。
【姉妹日記】
寝る前に筋トレします。柔軟、腕立て伏せ、腹筋。
どれも長女より次女が得意。姉より腕立て伏せが褒められるから次女は嬉しくてたまりません。
さて、おやすみ前。
次女がパパに「となりしないでね。(隣に来ないでね)」
その後ママ(私)に「となりきてね。」