働き方を変え続けてきた私の記録⑫ 誰かと生きる働き方

花火見たさに混雑かきわけ。

働き方シリーズを書きながら気づいたことがあります。たしかに大変だった。でも、それ以上に「楽しい」と思える瞬間があったからがんばれたんですよね。

働き方は自分ひとりで決められるものではない

働き方は、家族や一緒に生活する人のライフステージによって変わってきます。
私も、まるで「自分ひとりでがんばった」ような記事を書いていますが、そうではないと思っています。

私の場合、働き方についてはよくも悪くも「家族で話し合って決めた」わけではなく、自分の決定でした。とはいえ多くのご家庭と同じように、私が仕事量を調整するという前提なのですが。(この辺は何度ももやっとすることになるのです。「家族の総意」としての働き方の決定だったらどれほど心強かっただろうかと。)

まあでもこんなもんかなということで日々は過ぎていくのです。
そして、そうして決めた働き方をするのにも周りの支えも必要でした。

逆に自分が家族を支えていたこともあるはずで。家族などの運命共同体や生活共同体、チームによって、選べる働き方も変わる。ありがたいことに、元気でいてくれた家族、共働きであることによるリスク分散、子どもたちを見守ってくれる人々のおかげで選べた選択肢があります。
これらの状況によっては働き方は変わってくるのです。

「プロジェクト掛け持ち」というやりがい

独り身だった頃よりも選択肢が減った部分もありますが、そうでない部分もあります。
そして、ひとりじゃないからこそがんばりたいと思えることもある。
「独り身よりは働きにくい」というような簡単なものではないと思っています。

たとえばお金の使い方でも、貯金だけしている人と、消費もしている人の幸福度のお話に似ています。
増え続けることだけが幸福度に直結するわけではなくて、楽しいことに使うことで幸福度があがることもあります。

わかりやすい数式のような答えばかりではなくて、
「しんどいけど楽しい」というような感情がある。

子どもとの生活は大変だけれど、癒やしや希望をもらえます。そして私は仕事も好き。
子育てと仕事という、ふたつのプロジェクトを掛け持ちして、どうやってうまく回していくか。
そのチャレンジそのものにもやりがいを感じていました。

どうしてがんばれたのか。つらいこと以上の楽しみや喜び。

働き方について書いていくなかで、「しんどかった」「大変だった」という面が目立つと感じていました。でも、伝えたいのはそこではありません。それでもなお、なぜがんばれたのか、です。

そんなに大変なのに、なぜそこまでがんばれたのかということ。それは、それ以上にあの時の私は希望を感じていました。がんばりたいと思える源がありました。

特別な能力があったわけでも、資格が取れた未来を具体的に思い描けたためでもありません。
でも、「今とは違う生活が待っているはず」という小さな確信が、心のどこかにはありました。

その感覚があったから、つらい中でも動き続けられた。諦めていなかったということなのだと思います。

 

「働き方」は、一見自分が選べるように感じますが、
自分ひとりでつくるものではなく、まわりとの関係のなかでかたちづくられていくもの。
その時々の「ちょうどいい働き方」をずっと探していくのでしょうね。

 

【姉妹日記】
ママ大好きの次女の成長。今朝のこと。「ママと二人でいるの楽しい!・・・けどおともだちとあそぶのもたのしいな!」ママ好きすぎる次女の一声が珍しくて驚きです。

 

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