仕事を減らしても楽にならなかった理由

ワークアウトは「思考の連続性」や「リズムつくり」と相性がよいのです。

仕事が減ったのに、なぜか楽にならなかった。決断が増えた。

独立してすぐの頃、「仕事を調整したら余裕が生まれるはず」と思っていました。
でも実際は、仕事量を減らしてもなぜか楽にならない。時間に余裕があるはずなのに、心にも行動にも余裕が生まれない。理由がはっきりせず困惑しました。

今になって思うのは、「決めること」が増えたからだと思います。
どのタスクをいつやるか、どれを優先するか、どんなサービスを提供するか、何をやめるのか。
会社員時代には分担されていた「決定」が、すべて自分に降りかかってくる。

「決断疲れ」という言葉がありますが、決断力は時間とはまた別のキャパシティですよね。どれだけ時間があっても、「決めること」を捌く容量がいっぱいだと、前に進む感覚は持てません。
ちょっとしたこと(赤にするか青にするかというような)を決断することにも疲れを感じたとき、その事実を体感しました。

さらに子どもの年齢的に、家庭タスクも多かった時期。
家で仕事をしていると家庭の用事も目につき、細かい切替が発生して、脳の負荷は静かに増えていく。

仕事には「思考のまとまり」が必要だと感じます。これにはまとまった時間の有無だけでなく、「思考の連続性」の確保が重要。だとすれば、脳が考え続けられるキャパが必要なんですよね。

仕事を減らしても余裕が生まれなかった理由。リズムの乱れによる負荷。

試したこととして、一度、思い切って仕事量を調整し、環境も整えました。
勤めていたときにはやってこなかった庶務系の仕事にも慣れようと時間をつくり、業務を増やさない努力もして。

それでも、「なぜか余裕がある気がしない」。あの違和感はずっと心に残っていました。

もちろん、新しい仕事には負荷があります。慣れないタスクが増えれば、時間も意識も持っていかれる。だから「余裕がないのはそのせいだ」と思い込んでいた部分もあります。

でも、いま振り返ると大きかったのは 「リズムの乱れ」 でした。
家庭タスクはどうしても割り込みが多く、そのたびに仕事の流れが立ち止まる。そこから再開するまでに必要なエネルギーは、小さく見えて実は大きい。

会社員時代は、多少しんどくても仕事のリズムは強制的に戻されていました。出社すれば仕事モードに入るし、多少の雑務も流れの中で処理できる。

でも独立後は、自分でリズムをつくらない限り、リズムが生まれない。
だから「時間が増えても進めない」現象が起こったのだと思います。

前に進めるのは「時間」ではなく「仕組み」だった。

こうして振り返ると、結局はこういうことなんだと思います。
時間があるから前に進めるのではなくて、「仕組み」があるから前に進める。

独立したことで、自由時間は確かに増えました。でも、「自由時間をどう使うかの設計」がなければ力は発揮できない。子育て世帯ならなおさら、家庭タスクが入りやすくて、リズムが崩れやすい構造にある。

だからこそ、「がんばるか、もっとがんばるか」ではなく、「仕組みで動く」ことが大事になる。

いちいちその都度決定して行動していたら、それ自体で疲れてしまいます。時間割通りに過ごすように、仕組みにより動くのが負荷が少ない。よく言われることですが、私自身、その意味をどこまで理解していたのかわかりません。

仕事の量より、仕事の組み立て方。時間より、リズム。気合より、仕組み。

時間があるから前に進めるわけではなくて、「前に進める構造」を持っているから進める。
子育てと独立は、タスク量の問題ではなく、「仕組みで回していく働き方」を再設計することなのだと思います。

ここまでに随分時間がかかりましたが、環境や構造の問題だと考えだしてようやく少し前に進みやすくなりました。

【姉妹日記】
遠足のため通常より早めの登園。長女がテキパキ手伝ってくれて間に合いました。何も言わずとも布団をあげて、次女の髪を結ってあげて。水筒も準備してくれました。私はお弁当作りを。磯辺揚げが大好きで、夕食も磯辺揚げ、さらにおでんのちくわをたくさん。

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