【家族と日々】面倒みると思ったらしんどいけど、一緒にしてると思ったら愉快

面倒をみる、って思うと疲れる

お風呂でもお出かけでも、子どもの面倒をみていると思って出かけるとやたら疲れる。あれもこれも気にしなくちゃ、忘れ物しないようにしなきゃと頑張るほど、しんどくなる。
あらゆる「失敗」は「保護者」である自分のせいだから。

これって何かに似てるなと思ったら、昔の王様と側近の関係みたい。王様が転んでケガをした、不測の事態で予定通りにいかなかった、そんなときは側近が処罰される。皆既月食が不吉だからといって、それを防げないと罰せられる。

要は、「全部お膳立てしなさい」ってことなんでしょう。それがあなたの仕事ですよ、と。
でもそれって無理があるんですよね。

無理ゲーをやってるから、そりゃ疲れる

そりゃ完璧に、無事故ですべてうまくいくように準備したい気持ちはあります。忠実な側近だったらなおさら。でも、どうしようもないこともあります。本人が転んだら、それはもう、しょうがない。
なんだかそれに近いことをしてるなと、ふと思ったんです。

遊びには連れて行くけど、転ばせない・ケガさせない。めいっぱい遊ぶけど、空腹で暴れる前にちゃんとお昼ごはんに誘導。お腹を壊さないように清潔を保ち、自分も倒れないように食事と休憩も死守。

……いや、なんかもう、書いてるだけで疲れてきました。
そんなことをすべて滞りなくやろうとしていたのかと思うと、ほんと、無理ゲーですよね。

「一緒にやる」と思ったら、ちょっと愉快になった

でも、同じことをしていても、ちょっと楽しくなる方法があることに気がつきました。娘たちが少しずつ成長して、私の心持ちも変わったのかもしれません。

「面倒を見る」のではなく、「一緒にやる」ようにするだけで、気持ちがずいぶん楽になります。

遊ぶのを“見守る(側近)”じゃなくて、「一緒に遊ぶ」。
“お風呂に入れる”じゃなくて、「一緒に入る」。
“ご飯を食べさせる”んじゃなくて、「一緒に食べる」。

親が“責任者”ではなく、“参加者”になるんです。

たとえば転んだとき。「転ばせてしまった〜どうしよう〜ごめん〜」じゃなくて、
「転んじゃったん?あ〜痛いな〜大丈夫?」って感じで。
お風呂も「ちゃんと洗ってあげなきゃ」じゃなくて、「なに遊んでんねん」って一緒に笑う。

まあ、これも子どもたちの成長あってのことかもしれませんが、それでも、子どもを“守るべき存在”としてだけでなく、“対等な相手”として見ると、気持ちがラクになります。健全な心の動きにつながる気がしています。

え、最初からそうだった?いや〜それはいいですね。私はちょっと過保護だったのかもしれません。これからは、娘たちとも、もう少し対等な目線で、いろんなことを一緒に楽しめる気がしています。

【日記】
風邪がうつりそうなだるさがあり今日はしっかり休息。たくさん休んで断捨離も進みました。予定がない休日がコンディションを整えますね。

【姉妹日記】
長女の風邪は快方へ。朝一番「鉄棒しに行っていい?」と。・・・!もう鉄棒したらすぐに風邪治るかもしれません。寝る前は、「明日起きて熱なかったら鉄棒しにいこう?」。
ちなみに鉄棒のしすぎであざだらけ、皮膚は擦れています。それでも⋯。

次女、下見していたランドセル注文へ。ランドセルってほんとに種類多いんです。昭和世代が小学生だった頃と比べて。目移りするかなと時間を置きましたが、初志変わらずでした。今日持ち帰られると思ってたようでショックを受けていました。

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