当時からあった。
私はかつて、寮と下宿と一人暮らしを経験しました。最近思い出すきっかけがあり改めて振り返ってみると、約30〜20年前のこと。ずいぶん昔の話です。
でもいつか独り立ちしていくであろう娘たちにも話してみたいと思いました。
大阪を出たからといって「独り立ち」ではない
大学進学を機に大阪を離れ、東京で暮らし始めた私は、すっかり「独り立ち」した気でいました。けれど実際はそんなことはなく、最初の寮生活は、学生生活の延長に近かったと思います。クラブ活動の合宿のような、規律や暗黙の了解に包まれた集団生活でした。
独り立ちには程遠い生活ですが、「そこに居ればなんとかなる」という安心感がどこかにありました。だからこそ、東京行きにそれほど抵抗がなかったのでしょう。
でも現実には、しんどいこともたくさんありました。相部屋だったこともあり、自由とは程遠い生活。とはいえ、その不自由さがあったからこそ、社会を知らない「こども」でも、親元を離れてやってこれたのかもしれません。
下宿生活で感じたありがたさと未熟さ
次に経験したのは下宿生活です。当時は2万円くらいで住める場所を探していたところ、職場である事務所の先生が住まいの面倒を見てくださいました。
話は変わりますが、最近読んだ漫画に、「主人公のピンチのときになぜか助けてくれる大御所」が登場するのですが、その頃の私も同じように助けていただいていたと気づきました。チャンスをもらい、助けてもらって、いい経験を積ませてもらったのです。
その時の先生の年齢をとうに超えた今、当時の大変さが少しわかるようになりました。実は税理士になったのもその方の影響が大きいです。
よくしていただいて何とか暮らしていってはいたものの、下宿での暮らしはなかなかに大変でした。水がでなくても、寒くて眠れなくても、「相談」するという発想もなく一人で何とかしようと頑張ってしまっていました。駅まで水を求めてでかけたこともありましたね。(笑)
ひとり暮らしまでの段階
今にして思えば、「大阪を出る=一人暮らし」ではなく、一人暮らしに近づいていく「段階」があったのだと思います。
- 寮
- 下宿
- ルームシェア
- 一人暮らし
この順番で、コストはあがっていきますが、干渉は減り自由度が高まります。そして、人の目が届きにくくなるほど、自分で自分を守る力が必要になります。
もしコストの問題がなければ、すぐに一人暮らしをしていたかもしれません。でも、段階を経たことで、東京での生活の仕方が少しずつ身についたように思います。今のように情報が豊富でなかった時代。街のことも、生活のことも、少しずつ「肌感覚」で覚えていったのです。
やっと「ひとり暮らし」に近づけたのは、ルームシェアをはじめてからです。
一緒に暮らしていたのは病院勤務の先輩。夜勤や早朝勤務で不在がちだったため、ほとんど一人のような感覚でした。たまに一緒に食事をしたのはいい思い出。料理上手な方で、いろいろ教えていただきました。
おわりに
困ったり、乗り切ったり、助けてもらったり、いろんな経験を真正面から受け取れるのが親元を離れてからの生活だったと思います。その時の苦労や楽しんだ経験は間違いなく今の私につながっています。「魔女の宅急便」じゃないけれど、娘たちが独り立ちするときに、かつての自分を思い出して送り出していきたいですね。
当分は「ママ」「ママ」言う娘たちとの生活を楽しみます。
【日記】
豪雨で一時警報。薬局が時間通り開店せず、PayPayがつかえず、povoがつながらず、という午前でした。e-taxは大丈夫でした。
【姉妹日記】
長女スイミングの進級テストに合格。テスト観覧したあと一緒に帰るために待っていましたが、私を置いて帰ってしまいました。独立心旺盛です。
次女はお迎えが遅いと訴えます。おやつ食べているときに迎えに来てと具体的です。
家では「パーマネント警部」からダジャレを学んでいます。