(「あ〜これいいな〜」と次女が選んだ写真)

見えたところだけを治そうとしていないか
先日お客様と話していた身体の話。
肩が痛いときに肩をほぐす。
腰が痛いときに腰をさする。
痛む場所そのものが不調だと思って、そこを手当すれば解決する気がしてしまいます。
でも、身体はそう単純ではないようです。
・肩が痛いようで、原因は「腕の疲れ」
・腰が痛いようで、疲れているのは「脚」
私にも思い当たるふしがあります。
上半身の負荷を脚でカバーしていたり、脚の運びが悪い日は腰に痛みが出たり、肩こりは実は腕から来ていたり。
「痛いところ=原因」ではないんですね。
行動の裏にある「本当の理由」
話は変わりますが、最近長女に「もっと遊びたい問題」が出てきました。
言葉どおり、
遊びたい → 帰りたくない
という問題です。
本人は「楽しくてもっと遊びたいだけ」と言っていますが、
どこかで「遊び足りなさ」が蓄積しているのかもしれないと感じました。
4年生になり授業も長くなり、本人の希望とは言え習い事が増えて、放課後の自由時間が減っているのかもしれない。
もしそうだとしたら、
「もう遊ぶのはおしまい!」
と言ったところで収まらないですよね。
表に出ている行動は「症状」で、「本当の理由」は別の場所にある可能性が高い。そうだとすれば表れている問題を抑えるより、その奥にある物足りなさを満たすことで落ち着くはずです。
直接触らず、別の場所から整える
表に出た問題だけをピンポイントで手当てするのではなく、別のところを整えることで解決することがある。
身体も、子どもの行動も、仕事も。
私の場合、まずは「肩が痛い問題」。
腕の疲れを減らす工夫を試してみようと思います。
気温がぐっとさがってきたのでもしかしたら冷えもあるかもしれません。
問題の「見えている場所」ではなく、何か起きている場所を探してみる。
これができると、選べるアプローチが一気に増えますよね。
【姉妹日記】
長女とパパは「天空のアトラス イタリア館の至宝」展へ。混んでいなかったそうですよ!
次女は留守番。京都から帰宅した私を引きずってバレーボールの特訓。なかなか見込みがあります。うまくいかず悔しがるところも。
