近江舞子駅
「まだかな」。「まだまだ言うてる間は着かないよ」。
半年かけてようやく完成した。最初の1〜2週間はそのことばかり気になって、何度も何度も確認しては「まだまだ先は見えないな。前に進んでいるのかさえわからない。」と思っていたけれど、「まだかな〜」と考えていたあの頃は、いつの間にか過ぎ去っていた。そして半年経った今、ようやくできあがった。
・・・
娘が、「まだ〜?」というときがある。特に電車や移動時間など、「まだ着かないの?」というとき。
「まだつかないよ〜」と言っていられるうちはまだ余裕があるけれど、なんどもなんども「まだぁ〜?」と言われると、こちらもつい、ハァっと息が漏れる。
そんなときに私がよく使う言葉がある。
「まだまだ言うてる間は着かないよ」。
子ども向けの方便のようなものだけれど、妙に説得力があると思ってよく使っている。
言葉が「真理」になる瞬間
長女はこの言葉を、ちょっとした知識のように受け取った。
「ママが私の知らないことを教えてくれる」そんな感じで、素直に「そうなのか〜」と納得していた。そして無事に目的地に着くと、「ほんまや〜、ついた〜!」と大喜び。
こういうやりとりを何度も繰り返しているうちに、「まだ〜って言ってるうちは、たどり着かないんやな」という体験が、すっかり彼女の中で「真理」になった。
いまでは妹が「まだ〜?」を連発すると、
「まだまだ言うてるうちは、つけへんねんで」と、ちょっと得意げに語っている。
次女のほうは、「え〜、まだ〜?」と、あまりこの「魔法の言葉」が効かないけれど…。
それだけ、ある程度の理解がないと通じない哲学めいた言葉なのかもしれない。
「待つ」ことから一度離れてみる
どこかに到達するまでの「待ち方」は、人それぞれだと思う。けれど私は、「待つ」という執着というか、そういうのをいったん手放してしまった方が、むしろ早く「いい感じに」たどり着ける気がしている。
たとえば移動中に「あと◯駅」とか、「い〜ち、に〜い、さ〜ん」と数えるより、いったんそのことを忘れて景色を楽しんだり、他のことに気を向けるほうが、体感的に早く着く気がしている。
実際の時間は同じでも、時間は相対的。アインシュタインも言っているのだから、きっと早く着いているのだと思う。
目標やゴールまでの距離を、あえて「数えない」。
「あとどれくらい?」にとらわれるより、いま目の前にあるものに目を向ける。
それが結果的に、もっと自然に、思いがけず早く、たどり着く方法なのかもしれない。
おわりに
「まだかな」と思うその時間も、あとから振り返れば前に進む一コマだったと思えます。今日も「まだまだ言うてる間に」進んでいるのかもしれません。今日もおつかれさま。
【日記】
3月決算完了。5月は想定外のことが色々あって予定がずれ込みました。もう少し柔軟に対処できるようにタスク見直します。
【姉妹日記】
長女は算数の問題に苦戦。「3.1の10倍」という問題がわからず、「ママ〜ひとつだけでいいから教えて〜」と。まだ答えられる問題でよかったと胸を撫で下ろしました(^^)
帰宅後に決めた今日やることの通りにできなかった長女に色々言いながら、(そんなん言うても私もできてないわ⋯)と思うのでした。
夜になると、なかなか眠れない次女は「ママといっしょにいないとさみしくって⋯(うるうる)」とやってきます。「さみしくてたまらない」という言葉の意味をわかっていっているのかは知りませんが、大人にはささります(自分の希望を叶えるための言葉選びには成功していますね)。
寝室に私がいるだけで嬉しい次女は、パソコンを打つために座っている私の足首に触れながらすやすや眠りました。