AIを使ったときと、使わなかったときの違い

AIのおかげで、減った感覚

AIは、前よりずいぶん生活を便利にしてくれるようになりました。
「あれってどういうことなんだっけ?」という漠然とした問いにも、
それっぽい答えをすぐ返してくれます。

でも一方で、
AIの「おかげで」減った感覚があるな、とも思います。

頭から湯気が出そうになるあの感じ。
ぐーっと考えて、考えて、
頭が締め付けられるみたいにフル回転している状態。

あのあとに来る、
「あ、わかったかも」「そういうことやったんや」「これでいい!」
というひらめきと快感は、
もう過去のものになりつつあります。

文章を書いていても同じです。
自分の言葉で書いているときは、
多少なりとも熱がこもっているし、頭を使ってる感じが残る。

でもAIが出してくれた「言葉」は、
自分にはほとんど負荷がかからないまま、すっと手に入ってしまうことがあります。
「自分の言葉じゃない」という感覚が生まれやすい。

「自分の言葉じゃない」感覚

じゃあ「自分の言葉」ってどういうことなのかと考えてみましたが、
そう、あの経験と似ています。

大学教授の言葉を、そのまま論文に引用したときの感じです。
意味はわかった「つもり」でも、
自分のものにはなっていない、あの感じ!

一度理解して、自分なりに噛み砕いて、
自分の言葉にして書いたときとは、明らかに違います。

表現を変えたかどうかじゃなくて、
自分の思考が、その言葉を一回ちゃんと通過しているかどうか。

「自分のもの」になった言葉は、
同じ結論でも、同じ主張でも、全然違います。

・反論されたときに耐えられる
・別の文脈でも使える
・失敗しても、どこで間違えたかわかる

ここが違うんですよね。大学時代の苦い経験⋯。

AIに考えてもらったのか、AIを使って考えたのか

AIの力を借りて、「こたえ」を「知る」と、
現実でそれをやろうとしたときに、
「あれ?」ってなることがあります。

うまく回ってるようでも、あとから違和感が出てくる。

私も「わかってなかった〜」という経験があります。
AIの答えが通じないと、
「これの何が間違っている??」と混乱します。

思考が通過していないから、
立ち止まったときに、思考がたどり着くまで時間がかかる。
ほんとにこわいことですね。

AIの「こたえ」が悪かったのではなくて、使い方の話。

AIに考えてもらったのか、
AIを使って自分で考えたのか。

同じAI活用でも、その差はかなり大きいんじゃないでしょうか。

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