家事が楽になった。家事をシェアするとはどういう状態か。

今日食洗機を回していて「楽」だなと思いました。
絶対に「私がやらなきゃ」という状況では食器洗いは苦手な家事でした。
しかし、そうではなくなったので、それについて考えてみました。

家事をシェアすると、本当に楽になる

昔は、母が家事を全部やっていました。そんな姿を見て育ったせいか、私も「家事は女性の仕事」だと思い込んでいました。
「家事が上手にできないなんて恥ずかしい」、「やっていないのは家族を大切にしていない」。そんな呪いのような価値観が、無意識に染み込んでいました。

今思えば、自分を追い込むような考え方でこわい。持続不可能で完全に無理。
しかし、15年経った今、ようやく少しずつ手放せるようになってきたのです。

残念ながら家事の負担に関して、「話し合ってスムーズに分担できるようになった!」、なんていう輝かしいエピソードはありません笑。モヤモヤもありました。でも、時代の変化やお互いの余裕、そして私自身が「もう抱えきれない」と感じて手放していったことで、少しずつ変わっていきました。

たとえば最初は「買い物もするしご飯も作るし、洗い物もするのかぁ〜きついなぁ。」と思っていたけれど、

「やらなくてもなんとかなる」「それでも責められない」という状態が少しずつ定着していきました。

完璧ではないけれど、肩の力が抜けたんです。
「かっこいい(良い)妻」という偶像を手放したんですね(汗)

「やっている」と「回している」は違う

「家事はやってるよ」という言葉をよく聞きますが、
「やっている」のと「回している」のはまったく別の話。

最終的にどうにか整える役割が自分にある限り、心は休まらない。

私も、まだそこから抜け出せていません。

「家事をやってくれる」ようになった部分もあるけれど、
最終的な判断や管理の意識はやっぱり自分の中に残っています。

「家が回るように」考え続けている限り、完全には楽にならないんですよね。

でも、それでも少しは変わりました。「やらなきゃ」という思い込みが減り、多少の抜けや忘れがあっても「まあいいか」と思えるように。

完璧ではないけれど、昔よりずっとゆるく家事と付き合えるようになったのは確かです。

本当の意味でシェアできるようになるには、まだ時間がかかりそうですが、
少しずつ手放していける自分になれたことは、この15年でいちばん大きな変化だったように思います。

まとめ

家事は、完璧に分担することより、少しずつ「ゆるめる」ことも大事。

まだ本当の意味でのシェアには遠いけれど、前よりずっと、心は軽くなりました。

 

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