【親業】身を持って経験することの意味

仲直りもはやい。

「身を持って経験する」ことがが大切なんじゃないかなって思った話です。

次女のチョコパンがとられた

今朝のこと。

次女が楽しみにしていたチョコパンを、長女が食べてしまいました。

次女がものすごく悲しそうにしている姿を見て、私の心が痛みました。なぜならそのパンは、前日、次女の通院帰りに「これが欲しい」と望んで買ったパンだったからです。

長女はそうとは知らず食べてしまったわけです。「食べる前にひとこと確認してほしかったなぁ」と思う反面、すぐに「これはいい経験なのではないか」と思い直しました。

痛みを経験してこそ

以前から「早く朝ご飯を食べないとなくなっちゃうよ」と声をかけていました。
けれども次女は本に夢中で、なかなか登園準備に取りかかれません。

今回、大好きで楽しみにしていたパンを食べられ、涙を流した経験は、
親(私)が守ってあげるよりもずっと強烈に「効いた」はずです。悔しければ悔しいほど、その記憶は残ります。

これまで私は「半分こしようね」と先手を打ち、次女に「食べそびれる経験」をさせてきませんでした。
でも実はそれこそが、成長の機会を奪っていたのかもしれません。

すれ違いから学ぶ

兄弟姉妹がいると、こうしたことはしばしば起こります。
そして家の中には微妙な空気が流れる…。多くの親御さんが「兄弟喧嘩、勘弁してほしい」と思う瞬間ではないでしょうか。

親が仲裁して解決するのもひとつの方法です。けれど、人間関係には必ずすれ違いや衝突があり、そのときにどう折り合いをつけるかを学ぶのは、やはり「身を持って経験する」ことしかありません。

今回は、次女が「もういいよ…」と折れていました。けれど、帰宅後にはふたりともケロッと仲直り。こうした小さな出来事を繰り返しながら、人との距離の取り方、関係の修復方法を体で覚えていくのだと思います。

 

私たち親は、つい子どもの失敗や痛みを避けさせてあげたくなります。見ている方も辛いですからね。
でも、あらかじめ全部を取り除くことが必ずしも優しさではありません。

大切なのは「そういうこともあるよ」と受け止め、子どもたちにネガティブな経験ごと向き合わせること。
結局のところ、「痛みを伴う経験」こそが、子どもをたくましくしていく。
親にできるのは、その経験から逃げずに受け止められるよう、そっと隣で支えてあげることなんだと思います。

(チョコパンひとつで大げさですが…。)

 

【姉妹日記】
仲直りしたものの、今朝の空気はたまらなかったですね。
やっぱりできるだけ衝突しないように手を貸してしまうなぁ、などと思うのでした。

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