「体温計」が日常に。
想定外の在宅勤務、整わない環境のなかで
コロナ禍では、期せずして在宅ワークの機会もありました。
これには助けられました……と諸手を挙げて言えるような状況ではありませんでしたが。
なぜなら、それは「仕方なく」行われた措置で、在宅制度もなければ環境も整っていなかったからです。
もう忘れてしまいそうですが、「濃厚接触者」という言葉が日常にあった頃。
保育園でもコロナが発生して閉鎖、一定期間の登園自粛(自粛という名の実質休園)、
学校もたびたび閉鎖⋯。
特に保育園では、いつ濃厚接触者になるか分からない日々でした。
安定して出社できる状況ではなく、私も在宅勤務に。
制度が整っていない中での在宅勤務は、正直やりやすいとは言えませんでした。
ただ、「働ける状態にある」ことは救いでした。
申告期限が迫っているのにいつ出社できるかわからないーという焦りから解放されたことは大きかったです。
仕事環境は、会社で普段使われていないノートPCと、最低限のデータ、紙の資料、会社携帯。
メールは社外から確認できなかったため、同僚が転送してくれていました。
主な連絡手段は電話。お客様とのやり取りもほとんど電話で行っていました。
境界のない働き方と、途切れない緊張感
在宅ワークは、通勤を避けられるという点では効率的でしたし、感染予防にもつながりました。
出社による感染リスクから逃れられることで得られた安心感は、とても大きかったです。
業務報告の制度は特にありませんでしたが、担当を持っていたので、進捗は自然と把握される仕組みになっていたのだと思います。申告書が完成すれば報告も上がりますし、メールは全員が確認できる体制でしたから。
ただ、仕事の区切りはあいまいになりました。
会社携帯でのやり取りが増え、夕方以降にも電話がかかってくることが多くなったのです。コロナ禍で急ぎの仕事が多いという事情もあったのかもしれませんね。
在宅ワークでは、気持ちの切り替えが難しかったです。
在宅だからすぐに家事にも切り替えられるはずなのに、そうはいかない。ずっと仕事モードのままでした。今思えば、常に緊張状態だったのかもしれません。
それでも、走るしかない日々
復職後、安定した働き方ができないまま、つかの間の在宅ワーク。
子どもの体調、学校や保育園の対応、急な業務の変化。それでも走るしかありませんでした。
一旦立ち止まるという選択肢は、現実的にありませんでした。仕事をやらないという選択肢はなかった。復職してしっかり働かなくてはという思いが強かったのだと思います。
仕事も家庭もどちらにも全力を注げないけれど、今は踏ん張りどきと思えていました。
もう少ししたら、もっとうまくできるのではないかと。
【姉妹日記】
その頃の動画を見返していました。残っているのは幼い姉妹のおもしろ動画。
日々楽しさを見出して過ごしている子どもたちはたくましいなと。今日も二人ではしゃいでいます。