幼少期のなつかしい味。ミツヤの鉄板スパゲティ。

気づかない得意って誰にでもある
小学生の頃、一輪車にはまっていました。
小学校に一輪車が寄贈されたこと、なんとなく覚えています。
初めて乗った日のことは覚えていないけど、最初から乗れたわけではないはず。
でも練習した記憶はうっすら。
はっきりと思い出せるのは、すいすい漕いでいる自分。気持ちよく走っていた感覚だけは、今でも記憶に染み付いています。
授業が終わると転がりおちるように階段を駆け下りて、お目当ての一輪車をゲットするためダッシュ。
青い一輪車が私のお気に入りでした。
車輪が大きくてよく進む。小さい赤い方は何度も脚をまわさないといけなくて物足りない。
でも、青い一輪車はよく「故障」していました。空気が抜けていたり、パンクしていたり。
がっかりして赤い方で我慢する⋯そんなこともよくありました。
今日、ふと一輪車の話をしていて、
「一輪車って誰でも乗れるわけじゃないよ」
と言われてびっくりしました。
私にとっては当たり前のことが、当たり前じゃなかった。
そんな小さな得意だったことが、今になってすこし愛おしく感じました。
大人になってから気づく「ふつうは、ふつうじゃない」
こういう「後から気づく得意」は、誰にでもあります。
仕事でも、人とのやり取りでも、考え方でも、
自分では「普通」だと思っていたことが、他の人にはぜんぜん普通じゃなかったりする。
弱点だと思っていたところが、「強み」だったりする。
だから、自分の「なんとなくできてしまうこと」を
もっと丁寧に扱ってあげてもいいのかもしれません。
得意は「努力のあと」にあるとは限らない
得意というと、「努力して勝ち取るもの」というイメージがあります。
でも実際は、
気づいたら自然にできていたこと
なぜか好きで続けていたこと
こういうところに、じわっと「自分の軸」が隠れている気がします。
一輪車のように、
「自分では特別だと思っていなかったけれど、気づいたらできていた」
という種類の得意もいい。
働き方を考える上でも、自分の「ふつう」を拾いなおすことはヒントになります。
若い人にも、「自分のふつう」をもっと信じてほしいと思っています。
