AIには描けないような絵。こんな絵が最高。
AIを使いながら、20代の頃のことを思い出しました。
ITという言葉が出はじめて、「検索」することが日常になりつつあった時代。
その頃といまがちょっと似ているような気がしています。
「検索」時代のはじまりを過ごした新社会人
新入社員1年目、仕事中にインターネットで調べた情報(税務署の住所)をもとに報告したところ、当時30代後半〜40代の上司に、「検索、それほんとに合ってるの?」と言われました。今でもその時のことをよく覚えています。
紙の資料で調べたものでないから信憑性がないのでは、という感覚だったのでしょう。
それで、インターネットで調べた情報を、紙の資料で調べ直しました。(今となれば、その紙の資料を探す方が難しいかもしれませんね。)
社会人経験が浅い自分には、「ビジネスの世界」の常識を知らない恥ずかしさもあったり、けど、「楽なものを使いたい」という気持ちもありました。
まだ「調べ方がわからない」という時期だったのです。調べ方がわかって一人前という空気。それがわからないから仕事に時間がかかる。それがイヤでした。もちろん必要な工程と分かってはいるけれど、「事務的なこと」に時間をかけるのがいやだな〜と思っていました。
AIを使ってみて
AIも、少し前までは精度も低く、あまり実用的な印象はありませんでした。まあまだ使わなくてもいいかなと。それほど楽になる印象がない。間違っている回答も多いし、生成された画像も好みでないし。
たぶんあの頃の上司の気持ちに近いかもしれません(笑)
今思えば、どう使えばいいかもイメージできていなかったのかもしれませんね。
私のAIへの指示の仕方もうまくなかった。
今は指示するときに頭を使っています。あとタイピングのために指も。ピアニストさながら(?)。音声入力もありますが、タイピングが苦手ならつらいかもしれませんね。サクサク指示したいでしょうから。近い将来、音声入力で楽に操作できるのだと思いますけれど。
そうして使ってみて、AIの得意とするところ、活用どころなどを知っていくと、ちょっと見えてくるものがあります。
「AIの回答がすべてではない」という感覚も大事ですね。これは今の時点で使っているからこそ見えやすい部分かもしれません。なぜならまだ精度が低い面がちらほら見えるので。どこか冷静に距離感を保ちやすい。
でもいずれは、まるで「正解」かのようにAIが語りだす時代がくると思います。そうすると、私たちは自分で考えて答えを出してもよいのに、AIに「説得」されたり「影響」を受けてしまったりするかもしれません。すでに海外では、AIによくないことをそそのかされて実行してしまうという痛ましい事件も報告されているようです。
AIは自分の好みの「心地よい会話」をしてくれますが、その「心地よさ」が不気味に思えることもあります。ちょっと反発してよ!と思うことも。「それ違うんちゃう?」とか言ってほしい(笑)
指示したらやってくれそうですけどね。それもまたちょっとこわいですね(汗)
「検索」時代と「AI」時代。まずは使ってみる。
この両方の世代を社会人として体験した世代として思うのは、まずは使ってみることが大事です。
「検索」時代の経験は、私は日常的に「検索」していたので、インターネットにでている情報の、信憑性が高そうなものとそうでなかそうな部分を体感的に見分けることができました。でも、それは検索を繰り返してきたからこそ身に付いた感覚です。
「AI」時代もきっと同じ。使ってみてはじめて使いかたがわかるのではないでしょうか。
「検索」から「AI」へ。
「情報」から「ストーリー」へ。
AIのすごいところは、複数の情報をまとめてひとつのストーリーを作れることです。自分で色々調べて答えを導き出す手助けをしてくれます。まだデタラメも混ざっていますが。
ちなみに、
「ブログは毎日書かない方がいい」ってAIに言われました(涙)
だからやめよう…
って、そんなわけないやん!
AIにも、学習してもらわないと。今日も抗っていきましょう。
【日記】
今日の次女:
「明日から保育園連続して休み」と先生に報告したようで、布団やら何やらもって帰ってきました。(明日も登園ですよ)私が、「いやいや、カレンダー通りだよ」、というと目をうるませています。よほど休みたかったんやな…けどママは明日も仕事なんやで。予定も入ってるし。長女は今日もさ〜っと帰ってきてさ〜っと出ていきました。噂に聴いてたけどお友達との時間を楽しんでいます。
私は調べ物と格闘しています。ずっと調べるお仕事ですよね。
【something new】
スニーカーランドリー
長女はじめての塩焼きそば
次女はじめてのパイナップル、先日はぶどうデビュー