働き方を変え続けてきた私の記録① フルタイム編

長女1歳の頃は給食なしでお弁当作りも。食べないしこんなお弁当は多くなかったと思う。

昨日は、大学院と仕事の両立について書きました。
そういう働き方も含め、選べる働き方をほとんどすべて経験してきました。
フルタイム、時短勤務、ちょい時短、サテライト勤務、そしてコロナでのテレワーク…。

自分の意思で選んだものもあれば、環境や制度に押し出されるように選ばざるを得なかったものもあります。どの働き方にも「助かったこと」と「失ったこと」がありました。
今日から何日かに分けて、その記録を残していこうと思います。

初回は「フルタイム編」です。

独身時代のフルタイム

独身の頃のフルタイムは、好きなだけ仕事に時間を注げる時期でした。

若さもあって体力もあり、20日以上の連続勤務も経験。夜遅くまで働き、ビルの門が閉まってしまって管理室経由で退勤することもありました。あの頃しかできなかった働き方でした。

良かったことは、仕事の基礎が鍛えられたこと。その頃の経験が今につながっていると思います。

もちろん、しんどさは言うまでもなく。多忙でギスギスした職場は、成果を効果的に出せる場ではなく、どちらかといえばガテン系のような働き方。モグラたたきゲームのように目の前の仕事をポコポコ対処するような。

とにかく「少しでも前に進んでいる気がするから」と続けていたけれど、本当にこの働き方を選ぶ必要があったのか、苦労して経験を積むなら別の場所があったのではないか、という思いも残りました。

家庭を持ってからのフルタイム

子どもができてからのフルタイム勤務は、独身時代とはまったく違いました。
朝、子どもを保育園に連れていくだけで一日の体力の大半を使い果たしてしまう。

なぜなら朝の時点で体力が少ないから。
前日の帰宅後から一切の休息もなく、子どもの世話と最低限の家事で夜が終わる。すっと眠ってくれる日はほとんどなく、夜泣きで一晩中起こされる日が多く、次女が3歳になるまでの約10年間「ぐっすり眠った記憶がない」と言えるほどでした。
(因果関係はわかりませんが、私が独立して子どもたちはよく眠るようになりました。)

それでも「しんどい」と言って立ち止まる余裕はなく、一日は始まります。
朝から頭を占めるのは「お迎えのタイムリミット」。「夫婦どちらかが行けばいい」という家庭環境ではなく、変わりはいない。失敗できないプレッシャーが常にありました。

「そんなに重く考える必要ある?」と思えるのは余裕があるときの考え方。迎えにいくだけではなく仕事を終わらせるというミッションもある。余裕のない状態では、一つひとつが大きな重圧になっていました。

良かったことは、独身時代と違って仕事に区切りをつけられるようになったこと。段取りが良くなり、効率的に取り組めるようになったと思います。

そして何より、協力してくれる人との出会いがあったこと。子育て世帯だからと配慮してくれる職場の人、理解や励ましをくださるお客様の言葉。「ささいなこと」「当たり前」と言われるようなことでも、そのときの私にとっては本当にありがたい支えでした。

一方で、疲れ切って子どもにイライラしてしまう自分は辛かった。振り返れば、この働き方は無理がありすぎたのだと思います。独身時代と同じ仕事量をこなすのは現実的ではありませんでした。

数字で表せば、独身時代は「仕事120、家庭0」。
出産後は「仕事120、家庭60」で合計180。
少し抑えて「仕事100、家庭50」としてもキャパシティ100を大きく超えてしまう。

「仕事100、家庭20」くらいなら持続可能かもしれません。
でも多くの場合、女性側はそうならない現実があるのだと思います。

まとめ

同じ「フルタイム」でも、独身時代と子育て後では全く意味が違いました。

無理をしてでも走り抜けられた独身時代。
限界を超えながらも周囲の助けに支えられて続けた子育て後。今振り返ると、この働き方は決して持続可能ではなかったけれど、確かにそのとき生き延びる力にはなっていた。

そして、働き方を変えるきっかけにもなりました。

次回は「時短勤務編」について書いていこうと思います。

タイトルとURLをコピーしました