なんか楽しげ

目に見えるものだけを見ていると、見落とすものがある。
目に見えないからわかりにくいけど、このブログでもよく取り上げるテーマです。
形や結果、数字や成果。そういうものはもちろん必要だけれど、それだけを追いかけていると、その奥にある「動き」を見失うことがあります。
匂い、流れ、空気、感覚、なんとなく。
「もの」そのものよりも、「もの」と「もの」の「あいだ」にあるようなもの。
そういうものに、もっと注目してもいいのではないかと、最近よく思います。
状態をつくる習慣
お辞儀をする。祈る。目配せをする。感謝を伝える。楽しむ。
これらは、行為であると同時に、「状態をつくる習慣」でもあるのではないでしょうか。
お辞儀は、ただ頭を下げる動作ではありません。
その一瞬に、敬意という状態を自分の中につくっている。
祈りも同じです。
目に見える動きは小さくても、その奥で起きていることは大きい。
こういう習慣を意識的に増やしていくと、日々の手触りも少しずつ変わってくる気がします。
機嫌よく働くということ
以前、機嫌よく働いていることを褒めてもらったことがありました。
よく考えてみると、これも「状態をつくる習慣」と同じ話なのかもしれません。
機嫌がいいというのは、ただ結果としてそうなっているのではなく、鍛えられるもの、作れるもの。
自分がどんな状態でいるかは、日々の小さな行為や選択によって、少しずつつくられているのだと思います。
揺らすとは、反応すること
どうせ同じ時間を過ごすなら、自分が心地よくなるような気持ちの揺らし方をしたい。
「揺らす」というのは、反応するということでもあります。
何かが起きたとき、人は何かしらに揺れます。
焦ることもできます。
怒ることもできます。
不安になることもできます。
でも、同じ出来事に対して、感謝で揺れることもできる。
喜ぶこともできる。
面白がることもできる。
出来事そのものは、選べないことが多い。
けれど、どう揺れるかは、思っているよりずっと自分の手の中にあるのかもしれません。
そう考えると、お辞儀も、祈りも、目配せも、感謝も、喜ぶことも、楽しむことも。
全部、「自分をどう揺らすか」を練習するための、小さな習慣なのかもしれません。
どうせなら、気持ちよく揺らしていきたいものです。
